談山神社の紅葉

ビデオクリップ(1999/11/20)

舒明・皇極二代の天皇の世、蘇我蝦夷と入鹿親子の勢力は極まって、国の政治をほしいままにしていました。この時、中臣鎌子(後の藤原鎌足公)は強い志を抱いて、国家の正しいあり方を考えていました。たまたま飛鳥の法興寺(今の飛鳥寺)で蹴鞠会(けまりえ)があったとき、聡明な皇太子として知られていた中大兄皇子(後の天智天皇)にまみえることができ、西暦645年の5月、二人は多武峰(とうのみね)の山中に登って、「大化改新」の談合を行いました。後にこの山を「談い山」「談所ヶ森」と呼び、談山神社の社号の起こりとなりました。ここに鎌足公は真の日本国を発想し、日本国が世界に誇る国家となるため、一生涯を国政に尽くしました。天智天皇8年(669)10月、鎌足公の病が重いことを知った天智天皇は、みずから病床を見舞い、大織冠(たいしょくかん)を授けて内大臣に任じ、藤原の姓を賜りました。藤原の姓はここに始まります。鎌足公の没後、長男の定慧和尚は、留学中の唐より帰国、父の由縁深い多武峰に墓を移し、十三重塔を建立した。大宝元年(701)には神殿が創建され、御神像をお祭りして今日に至ります。

鳥居から階段の上り口右手の紅葉。
石段途中の風景。周囲が余りにも素晴らしい。
神廟拝所横の風景。
拝殿に向かう道も紅葉いっぱい。
拝殿(重文)前の紅葉。
朱塗舞台造の拝殿内部は、「千畳敷伽羅の間」と呼ばれ、
中央の天井に伽羅の 香木が用いてあることで有名です。
永正17年(1520)に創建されました。

真っ赤な紅葉。
重文十三重の塔。父・藤原鎌足の追福のために、長男・定慧と次男・不比等に よって西暦678年に建立されました。現存の塔は、享禄5年 (1532)の再建で、木造十三重塔としては、世界唯一のものです。唐の清涼山宝池院の塔 を模して建てられたと伝えられています。高さは約17メー トルあり、屋根は伝統的な檜皮葺きです。
神仏混淆時代の名残であると同時に、談山神社のシンボル的な存在で
す。
本殿。藤原鎌足公をお祀りする本殿は、もと聖霊院、大織冠社、
多武峰社とも称し、 三間社隅木入春日造のけんらん豪華な
様式で知られています。
社殿全体は極彩色 模様や、花鳥などの彫刻によって装飾されています。
大宝元年(701)の創建 で、現存は嘉永3年(1850)に建て替えられたも
のです。
日光東照宮造営の際のお手本となったことでも有名です。
本殿の万灯篭。
細工が見事。
本殿からの素晴らしい眺め。
参道の店。見事なつくね芋と、柿を土産に買った。
店頭は柿、椎茸等、地の産物でいっぱい。