永源寺の紅葉

ビデオクリップ(1999/11/)

南北町時代の康安元年(1361)、近江国の領守佐々木氏頼が、この地に伽藍を建て、寂室元光禅師を迎えて開山され、瑞石山永源寺と号した。
 禅師が遷化された後の、応安2年(1369)後光厳天皇は禅師を追崇され円応禅師の諡号をおくられ、さらに昭和3年(1928)4月には正燈国師の称号がおくられている。応仁の乱には、京都五山の名僧がこの地に難を避け修行し、"文教の地近江に移る"といわれるほど隆盛をきわめた。
 明応(1492)永禄(1563)とたび重なる兵火にかかり、本山をはじめ、山上の寺院悉く焼失。寛永年間一糸文守禅師(仏頂国師)が住山し、後水尾天皇の帰依を受け再興された。明治以来、臨済宗永源寺派の本山となり、百数十の末寺を統轄し、坐禅研讃、天下泰平、万民安穏を祈る道場となっている。
雨上がりの永源寺まえの風景。
山門まで出店が並ぶ。
石段を登る、両側は紅葉が綺麗。
見事な紅葉。
安心寺と号し、佐々木氏頼によって創建。しかし、たび重なる兵火、火災によって焼失の難にあった。現在の建物は、明和2年(1765)第112代拙堂禅師の時、井伊家の援助により建立されたもので屋根は葭(よし)葺きである。正面には本尊世継観世音菩薩、脇壇に一絲国師の尊像、歴代住持の位牌、井 伊家及び檀信徒の位牌が奉安されている。本堂隣の庫裡も兵火にあい、明和元年(1776)第117代怡山全育禅師の時に再建された 。庫裡は昭和54年(1979)雄峰禅師のとき改築された。現在は坐禅研修の道場として使われている。
襖絵が見事。
紅葉に囲まれた庵。
茶筅塚、上に庵がある。
赤、黄、緑のコントラストが素晴らしい。
実に美しい。
開山堂は大寂塔と称し、永和3年(1377)一渓禅師が開祖寂室禅師の高徳を追崇し創建された。永禄6年(1563)の兵火にかかり灰燼となったが、万治元年(1658)中宮東福門院のこ寄進により再建され、享保9年(1724)再び焼失したが、井伊直惟公が能舞台を寄進され今日に至っている。毎年10月1日は派内の僧が登山し、報恩謝徳の 開山忌法要が行われる。
一渓禅師像。
他の堂と同様、佐々木氏頼により創建されたが、たび重なる火災により焼失。以後法堂を道場としていたが、昭和3年(1928)4月開祖寂室禅師に正燈国師の称号を送られたのを記念して、 鳳禅師が禅堂再建を発願、川上貞子の支援を得て昭和8年(1933)4月に再建された。
永源寺境内に入って最初にくぐる門。康安元年(1361)佐々木氏頼によって創建されたが、明徳元年(1390)兵火にかかり焼失。以後寛正5年(1464)に第16代虚白文玄禅師が再建。寺内の建造物では最も古い。四脚門の形式で、門の両側に土塀をつけた風格のある総門である。
総門の次にくぐる山門は、寛政7年(1795)123代丹崖禅師が彦根城主井伊家に図り建立に着手。7年の歳月をかけ享和2年(1802)霊隠禅師のとき完成した。楼上には釈迦三尊と十六羅漢がまつられている。